近畿大学医学部・病院50周年史
Survey or Interview野田 起一郎

相手を思いやることが医の原点
一致協力して未来を拓け

Compassion is the heart of medicine. Together, we shape the future.
NODA Kiichiro

Former President Professor Emeritus

  1. 後進の指導にあたり、大切にされていた信条やモットーがあれば教えてください。

    恕。相手の立場になって考えること。
    2500年程前の中国の古典に論語がある。孔子とその弟子たちの対話集の形式をとっており、孔子語録というべきものである。「人の生涯の間守っていくべき信条となる言葉を一つだけ挙げるとしたら」という弟子の問に、「それは恕であろう」と答えている。この恕は医の原真ともいうべきものであり、医学部の学生には特に強調していたつもりである。
  2. 近畿大学医学部に赴任された際の思い出や、印象に残っている出来事を教えてください。

    1972年6月7近畿大学事務局より、1974年設置予定の本学医学部産科婦人科学教授予定者としての内定し、文部省に申請したという通知を受領した。そして、その年の空には、医学部設置予定地を案内された。そこは小高い丘陵地であり、南斜面は一部ぶどう畑であった。
    長靴を履かされて頂上にのぼり、周囲を見渡して一瞬言葉を失った。一面に畑と雑木材が広がっており、鉄道の便も悪く、こんな寂しいところに附属病院を造って、患者は来るのだろうか。気分はかなり落ち込んだ。翌1973年の初春、世耕正隆総長から呼び出しがあった。私が世耕総長にはじめてお会いしたのはこの時で、場所は永田町の議員会館であった。不安に思うことを洗いざらいぶつけたのであるが、総長は終始笑顔を絶やさず話を最後まで聞いてくれた。そして、その後で医学部創設の理念やそのためにはどのような医学部でなくてはならないかを熱意をもってお話しいただいた。新しく設置する医学部・病院の開院時にはこの広い範囲が近鉄などの造成によって住宅地となりこの地区の人口はかなりの数になると予測される。私の不安にまともに答えて頂いた。この世耕政隆先生との出会いを私の人生の中で最も重要な出来事の一つと今でも思っている。
  3. 国内外で多くの学会長を歴任されましたが、それらの活動が近畿大学や教育・研究に与えた影響をお聞かせください。

    それはむしろ逆で、近畿大学における独自の教育改革や活発な研究活動が注目された結果、各学会の会長を依頼されることになったのだと思う。
  4. 50周年を迎える近畿大学医学部・病院へのメッセージをお願いします。

    それはむしろ逆で、近畿大学における独自の教育改革や活発な研究活動が注目された結果、各学会の会長を依頼されることになったのだと思う。近畿大学医学部の現状は様々な問題点はあるものの総体的には大変好ましい方向へ発展してきたと思う。学部構成全員の協力の賜物であると思う。重要なのはこれからであろう。特に移転の問題があり、困難な問題も起こるかもしれない。これを乗り切るためにも学部全員での一致協力が必要なのである。医学部の現教職員は完全に明確な形でこれを成し遂げるとこができると私は信じている。
  5. 近畿大学学長として取り組まれた教育・研究・大学改革の中で、特に印象深いものがあれば教えてください。

    この設問には、先ず教養部の解体を挙げたい。新制近畿大学設立時(1949)以降、入学式の翌日から2年間は今日胸部において学生教育が行われていた。しかし、入学式当日希望に燃えて昂然と面をあげ、瞳を輝かせていた学生達が2年後学部に帰った時には一様に暗い視線を地に落としていたことに私は強い衝撃を受けた(1984)。この2年間の本学の教育を早く何とかしなければと焦燥感につき動かされ、教養教育を学部長会議の議題とし議論を重ねた。教養教育は大学の学生教育にとって極めて重要であって、その在り方がその学部ひいては大学の個性を形作るということで全員の一致をみた。
    その結果、本学においては教養、専門の一貫教育を取り入れることにしたのである。(2001)教養教育の重要性を大学全体が認識していたからこそ100名を越える教養部教員の分属などの困難な問題を克服することができたのである。