近畿大学医学部・病院50周年史
Survey or Interview加藤 天美

「人を理解したい」を原動力に
魅力ある脳神経外科を築く

Driven by the desire to understand people
— building an inspiring future in neurosurgery.
KATO Amami

Professor Emeritus

  1. 近畿大学医学部でのご経歴の中で、特に印象に残っている出来事を教えてください。

    2007年脳神経外科に主任教授として赴任して、まず取り組んだのは、先代教授の種子田 護先生が心血を注いだ脳卒中診療の充実であった。教室では、24時間脳卒中コールを運用し、地域の脳卒中患者を受け入れてきたが、実質、脳神経外科単独で運用されていた。これを発展させるためには、多診療科、多職種が連携する「脳卒中センター」の設立が不可欠と考えた。脳卒中センターは、いまや基幹病院に備わっていることは常識であるが、当時、患者の救急受入れ、緊急の開頭ないし血管内手術、リハビリテーションに至まで診療の流れの組織化は未着手であった。そこで、まず、病院長、医学部長のご理解をいただき、各関連診療スタッフに粘り強く説明し、課題の共有を図った。
    おりしも、2008年から脳卒中対策の法制化活動が始まり、私は日本脳卒中学会を通じて脳卒中診療の発展に寄与すべく、2009年学会の幹事、2012年には代議員、ついで2016年には理事に就任した。また、2011年の東日本大震災を受けて、病院に救急災害棟が建設されることとなった。脳卒中センター開設の好機と考え、2012年には教授会で承認いただき、さらに、広島大学から松本昌泰神経内科教授のご好意で大槻俊輔先生を、脳卒中センター教授として招聘し、2013年末オープンした救急災害新棟における脳卒中センターの設計・認可・運営まで、すべて完遂いただいたことは感謝に堪えない。
    2018年ついに国会で脳卒中・循環器病対策基本法が成立し、地域医療の組織化が促進された。現在、高橋淳教授のもと私どもの脳卒中センターが地域の脳卒中医療の中心としてますます発展を遂げていることは言うまでもない。「天の時、地の利、人の和」というが、よくばりにも、3点すべてを得ることができたことは、まったくの幸運であり、関連各位への感謝の念が尽きない。
  2. 専門分野において、近畿大学在職中に達成された重要な研究成果や臨床実績についてお聞かせください。

    私は薬剤難治てんかんの治療を臨床・研究テーマの一つとしてきた。難治てんかん手術治療では、まず第1段階として広範囲に開頭の後、脳皮質を露出させてその上にグリッド電極を留置し、脳から直接皮質脳波を計測し、てんかん発作の発生源(てんかん焦点)が脳のどの部分に局在するかを解析することが必須である。約2週間後、これをもとに、第2段階で、再度開頭し、てんかんの病巣を切除する。それゆえ、患者の協力をいただければ、約2週間、通常の入院生活において、人の活動と、皮質脳波の挙動を相関付け、ブレイン・マシン・インターフェースに代表される様々な脳科学研究を行うことができる。
    近畿大学赴任後すぐ、基盤研究(B)「局所脳律動変化にもとづいた言語機能局在同定と言語機能再建」や、同じく基盤研究(B)「皮質脳波信号処理に基づく運動・言語の脳-コンピュータインターフェイスの開発」、ならびに、バイオメディカルフォトニックLSIの創成の分担研究「脳機能性疾患への応用」など、総額1億円以上の競争的資金獲得に恵まれた。その結果、てんかん焦点の局在同定解析法、言語処理やヒトの企図形成など高次脳機能発現のメカニズムに関する多くの研究成果を得た。さらに、難治てんかんの緩和的外科治療である迷走神経刺激療法が保険適応となった2010年、いち早く近畿大学病院にも導入し、治療実践とともに、「迷走神経刺激療法におけるレスポンダーのバイオマーカーの探求」を京都大学など多施設共同研究をおこなった。これらの成果をもとに、2016年難治てんかんセンターを開設した。
  3. 近畿大学での教育活動を通じて、学生や若手医師にどのような指導を心がけていましたか。

    近畿大学の風土は、体育会系と言われることが多い。裏返せば、個人の魅力や影響力でチームを引っ張るカリスマ型のリーダーシップとの相性が良さそうだ。トランプ2.0のように、一貫したビジョンを通じて部下を強力に結束させ、モチベーションを高められるメリットがある。反面、カリスマに依存し、部下の独り立ちを損なうデメリットもある。
    全国脳神経外科教室の事情を聞けば、「手術の魅せ技」を地で行って教授が先頭に立つ施設が多かったように思う。しかし、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、・・・」でなければ、次代の術者は育たないと思った。そこで、まず、手術顕微鏡、血管撮影装置、手術ナビゲータ、脳波解析等々、最新の機器を導入し、若手がのびのびと技術を磨く環境作りを目指した。当然、多額の費用がかかるわけで、実現に協力いただいた学部長、病院長、事務職員、関連科の教授・スタッフには感謝の念に堪えない。
    手術では助手の立場で、最初から若手を術者として、若手の操作に迷いが伺えるまでは、術者を交代せず無干渉をつらぬいた。ほかにも、様々あったが5~6年もすれば、脳卒中手術、脳腫瘍手術、機能的脳神経外科、各分野で独り立ちした術者が育ち、全国的にも名を馳せるようになった。人の育成に決った解はあるべくもないが、次代の術者育成に貢献できたことは喜ばしく思う。
  4. 近畿大学での研究・診療体制や環境について、特に優れていると感じた点を教えてください。

    私の出身は大阪大学 脳神経外科であるが、国立大学法人から学校法人に赴任したことで、両者の差を大きく感じたことは否めない。国立大学はいわばお役所であるので、予算ありきで、なかなか融通が効かない。目的外使途もみとめられないので、例えば高額設備が故障したときの修理費捻出にも苦労した。研究費も基本的に科研など競争的資金が主なので、研究初期段階で科研が通らないとき肩身が狭い思いをしたことがある。医学部では製薬企業などの寄付を委任経理金として流用できたが、脳神経外科教室はマイナーとみなされ、あまり潤っていなかったと思う。
    近畿大学は、この点、価値観はより民間企業に近いと感じたので、まず稼いで最新設備を導入し、医局員のモチベーションを向上させることを目標とした。幸い、赴任してすぐ、大型競争的研究資金に恵まれ、また、医局員のモチベーションは高く、脳卒中医療を軸に診療稼働額を伸ばすことができた。やはり稼ぐと、用度課など事務との折衝も好意的に対処いただき、手術顕微鏡、画像誘導など最新の手術設備や研究設備を導入することができた。
    医学部長、病院長、放射線科、リハビリ科、救急医学科、循環器内科、心臓外科など関連科の教授との交流も敷居が低く、人事に関しても柔軟に運用できたことは近畿大学ならではであり、それら多大な協力体制により赴任後5年にして2012年脳卒中センターを開設できたことはエポックメイキングなことと思っている。
  5. ご専門において、近畿大学での活動が日本や世界の医療に与えた影響について、どのようにお考えですか。

    大阪大学時代1994年世界初の磁場式手術ナビゲータを発明し(1994年特許出願、その後公開)。これは、画像誘導手術の基本となっており、原著論文の被引用数は500以上に上る(Google Scholar)。近畿大学でも2016年ハイブリッド手術室設立に貢献した。近畿大学では、特に、画像誘導手術を難治てんかんの外科治療に応用し、てんかん外科の低侵襲化、確実性の向上を実現し、その普及に貢献した。てんかん外科を通じて、脳機能、特に高次脳機能の発現機序の解明を図った。それらの功績により、下記、全国学会を主催した。2020年には日本てんかん学会から学会功労賞をいただいた。また、2017年には日本定位・機能神経外科学会の法人化初代理事長に選出された。
    第32回日本てんかん外科学会(2009)
    第27回日本ニューロモデュレーション学会(2013)
    第53回日本定位・機能神経外科学会(2014)
    第17回日本ヒト脳機能マッピング学会(2015)
    第53回日本てんかん学会(2019)
    アジアにおけるてんかん外科の普及を目的に、日本、中国、韓国の有志とともにアジアてんかん外科学会(Asian Epilepsy Surgery Congress)を組織した。2014年にはAESC 2014を主催した。このとき、参加国はインド、台湾、インドネシア、シンガポール、フィリピン、ベトナム等々アジア主要国を網羅できた。2019年第53回日本てんかん学会を主催時に、ILAE:国際抗てんかん連盟の幹部にAESCの活動をアピールし、その結果、国際てんかん外科学会(International Epilepsy Surgery Society)が発足した(2024年第1回総会が開催されたとのことである)。
  6. 医療の現場で印象に残っている患者さんや症例についてお話しいただけますか(守秘義務の範囲内で)。

    大脳の形成異常のため、生後すぐから難治性てんかん、精神発達遅滞を生じる片側巨脳症は、重篤な発達障害が後遺することから、可及的生後早期に病巣の大脳半球切除術が有効とされるが、脳神経外科手術の中では最も侵襲性が高く、解剖指標の少ない脳実質を正確に離断する必要があり、かつ、手術操作が広範囲にわたることから、乳児期に施行することは難手術とされてきた。私は大阪大学で培った画像誘導法を駆使することでより安全な手術法を考案した。
    患者は左片側巨脳症、小児科にて治療されていたが、6ケ月となって発達遅滞、右片麻痺が顕在化しウェスト症候群と診断されたので、手術ナビゲータ誘導下、計画通りの離断術を施行した。術中、術後を通して全身状態に安定し、大きな問題はなかった。術後発作は消失し、発育遅滞は改善した。術後3年、これからの学童生活で最も懸念される自閉障害を回避し、その後小学校普通学級に進学した。
    本患者の手術は、近畿大学に赴任した2年目のことで、多くの関係者の協力を頂いて、画像誘導手術に必要な高額な設備をそろえ、教室員ならびに関連科の協力を得てはじめて実現できた高難度手術であり、印象深く思い出す。
  7. 近畿大学医学部や附属病院での学際的な連携やチーム医療の経験について教えてください。

    ・チーム医療
     2012年脳卒中センター開設(センター長)、  2016年難治てんかんセンター開設(センター長)
    ・研究における学際的な連携
     下記、競争的資金(CREST、科研、厚生科研など)の共同研究者
     CREST (分担)バイオメディカルフォトニックLSIの創成:分担研究「脳機能性疾患への応用」 2007 ~ 2012 72,488,000円
     基盤研究(B) 局所脳律動変化にもとづいた言語機能局在同定と言語機能再建 2007 ~ 2009 19,240,000円
     基盤研究(B) (代表)皮質脳波信号処理に基づく運動・言語の脳-コンピュータインターフェイスの開発 2008 ~ 2010 17,810,000円
     萌芽研究 脳信号解読技術を用いた言語機能再建の試み 2007 ~ 2008 2,900,000円
     基盤研究(C) パーキンソン病に対する皮質脳波フィードバック型脳深部刺激の開発 2010 ~ 2012 4,420,000円
     (代表)ヒト皮質脳波信号処理に基づく運動・言語の高次脳機能発現メカニズムの研究 2011 ~ 2013 5,070,000円
     パーキンソン病の歩行障害に対する脊髄刺激療法の刺激機序と効果的な刺激方法の探求 2013 ~ 2015 4,550,000円
     中枢神経障害による筋緊張異常症の代謝機能に及ぼす影響と治療評価に関する研究 2013 ~ 2015 5,200,000円
     (代表)迷走神経刺激療法におけるレスポンダーのバイオマーカーの探求 2014 ~ 2016 4,940,000円
     基盤研究(C) (代表) fMRI自己共振信号に基づいた難治てんかん手術前後の脳機能ネットワークの解析 2017 ~ 2019 4,550,000円
     厚生科研費 難治性不随意運動症状を伴うトゥレット症候群に対する脳深部刺激の有用性に関する多施設共同研究 2009 ~ 2009 9,990,000円
     厚生科研費初発膠芽腫に対する新規放射線化学療法による有効治療法確立のための臨床研究 2011 ~ 2013 41,800,000円
     厚生科研費てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究 2011 ~ 2013 35,705,000円
    ・2008年 - 2010年 自然科学研究機構生理学研究所 多次元共同脳科学推進センター 客員教授委嘱
  8. 近畿大学医学部新キャンパスや附属病院新病院への期待やメッセージをお願いします。

    近畿大学創立100周年および医学部開設50周年を記念した、新キャンパスならびに新病院のオープンを心からお慶び申し上げます。
    「天の時、地の利、人の和」は「孟子」の「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」とのことで、時流に乗ることや有利なポジションも、「人の和」:ヒトとの信頼関係に優るものはないという教訓だそうですが、その3点すべてが揃えばはるかに素晴らしいはずです。
    たしかに昨今、2024年診療報酬改定後、病院経営が極端に厳しくなり、いつ病院が消えてもおかしくない、という危機的状況となりましたが、2026年度の改定では、医療提供体制の維持のため、大幅なプラス改定が期待されます。特に近畿大学病院は、南大阪で唯一の特定機能病院であり、「頑張っている」、「地域に欠かせない」医療機関として、本格的な稼働時には「天の時」を得て重点的に評価されることを期待しております。
    また、泉ケ丘駅は、泉北ニュータウンの中心として泉北線内で最も乗降客数が多く、「地の利」として、病院がカバーする背景人口も狭山キャンパスの時より数倍に増加することが期待されます。新病院効果もあって、外来診療・救急医療・患者紹介の急増に対応されるスタッフにご自愛されるよう念じております。
    近畿大学医学部において、スタッフ間の信頼関係構築、チーム医療実践など、「人の和」形成は、近畿大学が柔軟な人事評価ができる組織であり、私の経験からも、成功まちがいないと思います。
    このように、「天の時、地の利、人の和」の3要素すべてを兼ね備えた近畿大学新医学部キャンパス・新病院がますます発展を遂げることを祈念申し上げます。
  9. 今後のご自身の研究や活動の展望についてお聞かせください。

    近畿大学を2020年に定年退職後、関西メディカル病院 脳神経センター長/脳神経外科に再就職している。関西メディカル病院は北大阪急行/大阪モノレールの千里中央駅から徒歩7分ほど、交通至便で回復期リハビリテーション病棟45床を含む225床の中規模病院である。豊能2次医療圏で、千里ニュータウンを背景に、高齢者を中心に年間9000件ほどの2次救急を受け入れている。内科系患者や整形外科系患者が多いが、脳神経外科的には脳梗塞、頭部外傷、意識障害の鑑別を診察することが多い。
    そのなかで非けいれん性てんかん重積状態が稀ならず診断される。 高齢者のてんかんの有病率は、人口の数%と多く、約3割がてんかん重積状態で初発し、その致死率は20~40%に上る。てんかん重積状態となるとADLは著明に低下し、もとの生活に復帰できるのは、2割程度に過ぎない。
    当院では、脳波やMRIが比較的自由に検査できるので、私の専門性を活かして、脳機能疾患のほか、高齢者てんかん、てんかん重積状態の診断、止痙、継続治療について、知見を重ねている。
  10. 近畿大学在職中、思い出に残る学生とのエピソードがあれば教えてください。

    当時5年次のKT君のSクラス担任となったことを印象深く思い出す。彼は30歳半ば、すでに5回の留年を繰り返しており、卒業できるかどうか瀬戸際であった。Sクラス担任は、従来のグループ担任とことなり、留年した学生を個別に教授が担当し、より踏み込んだアドバイスする当時導入の制度である。指導に当たり、性格、家庭環境を含め学習環境についてプロファイリングをおこなった。KT君は、のんびりした性格で、無趣味、すれてないというか、素朴な人柄であった。勉学態度は良であったが、留年を繰返し、勉強仲間がおらず学習意欲への刺激が少ないことが課題であった。そこで、予備校への出向を勧め、面接を多めにチェックした。その結果かどうか、1年目から成績順位が大きく向上し、2年目には6年次に進級とあいなった。
    昨今近大では高度な統計解析を応用し、それぞれの学生個人について、複数回の試験成績を元に国家試験合格確率が定量的に算出され、卒業判定に活かされるようになった。その結果、医師国家試験合格率が例年均等化され大きく改善したと伺っている。KT君にふれあい、学生を個人として見ることの重要性にも気づかされたことはよい思い出である。