Survey or Interview藤原 昭彦
目標実現に向けて
全力で挑み続ける
近大教職員の変わらぬ姿勢
A relentless pursuit of goals— reflecting the unwavering dedication of Kindai’s faculty and staff.


藤原 昭彦
FUJIWARA Akihiko
医学部・病院運営本部長
General Manager of Headquarters for the Faculty of Medicine and Kindai Hospital Administration
医学部・病院が大阪狭山市に開学・開院して半世紀の50年を経て、新たに、「おおさかメディカルキャンパス」(堺市)へ移転するという歴史的な節目に立ち会えることを、心から誇りに思います。
私が、大学職員として奉職し、医学部附属病院に勤務したのは、1986年(昭和61年)4月、まだ近畿大学病院が開院して9年目の頃でした。
当時は、個性豊かで優れたスタッフが、まさに荒れ野を切り開くように、ひたむきに患者さんと向き合っていた時代です。社会人としての第一歩を、この時代、この場所で、患者さんという最も大切なステークホルダーと向き合いながら歩めたことは、私の一生の財産となっています。
その後、現職に就くまで医学部・病院を離れた時期もありましたが、学生、保護者、受験生、企業、行政など、向き合う相手は変わり、時代がDX化へと進化しても、「自分たちの都合ではなく、相手の立場に立つ」という医学部・病院で学んだ姿勢は一貫して変わることはありませんでした。
近畿大学の今も昔も変わらぬ良さは、目標を実現するために全力で挑み続ける教職員の姿勢と、その心意気にあると確信しています。新しいキャンパスでは、教育・医療・研究環境がさらに充実し、高度医療の提供、地域医療への貢献、そして医師・看護師の育成に一層取り組んでまいります。
近畿大学は、次の100年に向けて新たな歩みを始めました。医学部・病院は、看護学部を加え、新キャンパスで新しい歴史を刻んでまいります。
ともに力を合わせ、近畿大学をさらに高いステージに押し上げていきましょう。
私が、大学職員として奉職し、医学部附属病院に勤務したのは、1986年(昭和61年)4月、まだ近畿大学病院が開院して9年目の頃でした。
当時は、個性豊かで優れたスタッフが、まさに荒れ野を切り開くように、ひたむきに患者さんと向き合っていた時代です。社会人としての第一歩を、この時代、この場所で、患者さんという最も大切なステークホルダーと向き合いながら歩めたことは、私の一生の財産となっています。
その後、現職に就くまで医学部・病院を離れた時期もありましたが、学生、保護者、受験生、企業、行政など、向き合う相手は変わり、時代がDX化へと進化しても、「自分たちの都合ではなく、相手の立場に立つ」という医学部・病院で学んだ姿勢は一貫して変わることはありませんでした。
近畿大学の今も昔も変わらぬ良さは、目標を実現するために全力で挑み続ける教職員の姿勢と、その心意気にあると確信しています。新しいキャンパスでは、教育・医療・研究環境がさらに充実し、高度医療の提供、地域医療への貢献、そして医師・看護師の育成に一層取り組んでまいります。
近畿大学は、次の100年に向けて新たな歩みを始めました。医学部・病院は、看護学部を加え、新キャンパスで新しい歴史を刻んでまいります。
ともに力を合わせ、近畿大学をさらに高いステージに押し上げていきましょう。