創設者 世耕弘一略歴
明治26年 | 和歌山県東牟婁郡敷屋村西敷屋(現新宮市熊野川町西敷屋)にて誕生 |
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明治39年(13歳) | 請川高等小学校を卒業 |
明治41年(15歳) | 新宮市内の材木店へ丁稚奉公 |
大正3年 (21歳) | 東京深川の材木商社に就職、その後満州(現中国東北部)へ渡る |
大正6年 (24歳) | 満州から帰国、正則英語学校へ通う |
大正7年 (25歳) | 専検に合格、日本大学予科に入学 2年後に日本大学法文学部へ進学 |
大正12年(30歳) | 日本大学を卒業、朝日新聞社に就職 9月、ドイツ留学へ |
昭和2年 (34歳) | ドイツから帰国、日本大学講師となる |
昭和6年 (38歳) | 日本大学教授となる |
昭和7年 (39歳) | 衆議院議員に初当選(以後、8回当選) |
昭和16年(48歳) | 東條軍事政権に抵抗、尾崎行雄氏、鳩山一郎氏らと同交会を結成、 世話人となる |
昭和18年(50歳) | 日本大学理事に就任 |
昭和19年(51歳) | 大阪専門学校の校長に着任 |
昭和21年(53歳) | 内務政務次官に就任 翌年、隠退蔵物資の摘発に乗り出す |
昭和24年(56歳) | 近畿大学を創設、総長に就任 |
昭和30年(62歳) | 衆議院法務委員長となる |
昭和34年(66歳) | 第二次岸内閣の国務大臣に就任 |
昭和38年(70歳) | 藍綬褒章を授与される |
昭和40年(72歳) | 勲一等瑞宝章を拝受する 肝臓疾患のため急逝、従三位に叙せられる |
- 世耕 弘一
- KOICHI SEKO
- 近畿大学創設者