展示品
映像視聴コーナー
【自校学習教材】
世耕弘一先生の魂にふれる/伸びゆく近畿大学(昭和27年版)/伸びゆく近畿大学(昭和32年版)/~近畿大学の過去・現在・未来~
【映画】
若者の讃歌(昭和46年)
【教育映画】
『津浪』世耕弘一原作
「学生俥夫」と人力車
展示の人力車は、近畿大学台湾校友の皆様のご寄付によって製作されました。
「学生俥夫」は、世耕弘一をモデルに書かれた実話小説です。掲載された雑誌『キング』(講談社)は、日本出版史上はじめて発行部数100万部を達成した国民的雑誌でした。この作品には、世耕弘一の人柄をしのばせるエピソードがちりばめられています。世耕弘一は人力車を引く仕事をしながら、寸暇を惜しんで勉学に励み、現在の私たちからは想像もできないほどの「苦学」をし、ついに大学進学の夢を実現しました。世耕弘一のその強い思いが後に近畿大学として結実し、その精神は現在も受け継がれています。
著者は、後の直木賞作家 穂積 驚
「学生俥夫」(『キング』第15巻第4号昭和14年(1939年)4月所収)
世耕弘一が生き、勉んだ熊野地方をジオラマで再現
世耕弘一が出生から上京するまでの少年時代を過ごした、和歌山県熊野地方をジオラマで再現しました。生家や小学校・奉公に出た貯木場など、世耕弘一ゆかりの地や新宮短大分校はじめ、地方の教育や産業振興のために尽くした数々の施設、世界遺産に登録された熊野古道、熊野本宮大社・熊野速玉大社・那智大社などの名所も表現しています。
ジオラマ正面のモニターでは、上記のジオラマを各所ごとに写真とナレーションで説明しています。また長編漫画「山は動かず~世耕弘一伝」で幼年時代の物語を映像で紹介しています。
池袋一丁目一番地の自宅
世耕弘一は、昭和5年から東京池袋に住んでいましたが、この模型は戦災で建て直した現在の自宅です。「東京池袋一ノ一」で郵便物が届く、ご自慢のいわゆるラッキーアドレスでありました。
世耕政隆は「回想 世耕弘一」の中で、親父は「遺言も思い残すことも一切無い、と云い切って残していったのは、百余坪の借地と古びた小さな家一軒だけである」と記しています。
まさに、この家は「清貧の人 世耕弘一」の象徴であります。
温故知新
世耕弘一はこの「温故知新」という言葉をよく使いましたが、常に、「旧来の因習を破って新しい形を作りなさい。ただ、故(ふる)きを尋ねるだけでなく、故きを尋ねて新しいものを知り、更に創り出すことでなければならない。」と付け加えました。つまり、「温故知新」から「温故創新」への発展です。
なお、「温故知新」は他にも揮毫されており、近畿大学中央図書館4階閲覧室には、380cm×91cmの大きな書を掲額しています。これは、昭和27年、旧本館2階にあった、当時の図書館閲覧室に掲額されたもので、学内で最も古くから多くの学生、教職員に親しまれてきた書といえます。
また、現在確認できている世耕弘一の遺墨の中でも最大で、その迫力に、この言葉に込められた思いの強さが伝わってきます。
龍吟雲外松
和歌山県串本町出雲区から寄贈された世耕弘一直筆の書です。 縦96cm、横2.2mの額に入った大作で、不倒館所蔵の中でも最大級のものです。「龍吟雲外松」は、「龍が鳴いているのかと思ったら、遠くの松の鳴る音だった」と読めるとともに、「既成の概念を捨てて、修行に徹することで悟りを開き、超俗の境地に至る」という意味も考えられます。