開設と歩み・実験場の歴史

歴史

海を耕す

初代総長・理事長 世耕弘一

敗戦直後の日本。和歌山をはじめ全国の漁港は、漁獲高が大幅に落ち込んでいました。それを見た近畿大学初代総長・世耕弘一は、目の前に広がる海を「畑」と捉え「海を耕す」という理念を掲げて魚の養殖を試み始めました。

そして1948年12月、南紀の白浜町長の協力を得ることで、近畿大学の前身である大阪理工科大学の白浜臨海研究所(後の水産研究所)が誕生したのです。

当時は、漁業しかなかった時代、ほとんどすべての漁業関係者が半信半疑だったにもかかわらず、世耕弘一は水産資源の自給を目標に、海水魚の養殖漁業に取り組みました。

以来、いくつもの世界初となる成果を生み出し、世界屈指の養殖技術を持つ研究機関として養殖業界をリードしています。

白浜臨海研究所(昭和33年春)

養殖研究のスタート地点となった第一養魚場

信念が実現した養殖漁業への道

研究当初は、前例のない試みばかりであっただけに失敗の連続。大学の財政を圧迫する事態に、一時は研究の撤退を提案する声もあったものの、世耕弘一の強い信念と確かな裏付けにより研究は続行。
やがて、総長の熱意と研究に携わる人々の能力によってハマチの養殖に成功することができました。続いてマダイ、カンパチなど高級魚の養殖技術開発へと続き、水産研究所は漁業関係者の注目を集めました。
現在、国内で15万トンにのぼるブリ類が養殖されていますが、そのきっかけをつくったのがこの水産研究所なのです。

昭和30年代のハマチ養殖風景 写っているのは2代所長の原田輝雄

養殖技術の根幹となった「小割(網いけす)式養殖」

養殖技術確立のために信頼できる研究者が必要だと考えた世耕弘一は、京都大学農学部に足を運び、若き原田輝雄をスカウト。
それまでは湾を仕切った養魚池で魚を放し飼いすることが行われてきましたが、のちに当研究所第2代所長となる原田輝雄は、網いけすを用い、小さく飼うことで効率的な養殖技術を開発しました。
この革新的な「小割(網いけす)式養殖」により、養殖技術は飛躍的に向上し、今でも世界の養殖技術の主流となっています。

近畿大学水産研究所が開発し国内外に普及した網いけす

お問い合わせ先

近畿大学水産研究所への問い合わせは、下記までお願いいたします。

白浜実験場(水産研究所本部)
住所:〒649-2211 和歌山県西牟婁郡白浜町3153
TEL :0739-42-2625
FAX :0739-42-2634
mail:ari@itp.kindai.ac.jp

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