除草剤がイトトンボ幼虫の個体数を減少させることを実証 農薬リスクを高精度に予測し、より良い使用法が選択可能に
2019.07.25
- 農
除草剤による間接影響のプロセス
本研究に関する論文が、令和元年(2019年)7月24日23:00(日本時間)に、アメリカの応用生態学専門誌「Ecological Applications」オンライン版に掲載されました。
【本件のポイント】
●昆虫には直接毒性のない除草剤が、間接的に捕食性昆虫の個体数に影響することを実証
●イトトンボ類幼虫のように水草に掴まって生活する捕食性昆虫は、水底・水面で生活する捕食性昆虫よりも除草剤の悪影響を受けやすいことを発見
●生物のライフサイクルに注目することで、農薬が生物に与える影響を高精度に予測するための理論構築が可能に
【本件の内容】
水田は我が国における農業の重要な構成要素であり、生物の多様性の高い農業生態系の場であることが知られています。しかし近年、水田における農薬の散布量の増加に伴って、アキアカネを始めとするトンボが減少していることが指摘されています。五箇・早坂らの研究グループはこれまでの研究で、ネオニコチノイド系殺虫剤やフィプロニルなどの殺虫剤が、トンボ類幼虫に極めて強い毒性をもつことを明らかにしてきました。これらの研究は殺虫剤の直接毒性に注目したものでした。
一方、今回の研究では、除草剤という昆虫には直接毒性のない農薬が、水草の減少を介してトンボを始めとする捕食性昆虫に与える影響を検証する実験を行いました。その結果、除草剤散布によって水草が減少することで、イトトンボ類幼虫など水草に掴まって生活する種の個体数が減少する一方、水底・水面上で生活する種は減少しないか、むしろ増加する傾向にあることが明らかになりました。このことから、除草剤の散布が捕食性昆虫に与える影響は、捕食者の生活圏によって変化することが実証されました。本研究のように、生物間相互作用※1(ここでは水草と捕食性昆虫との関係)を介した農薬の間接的な影響の大きさが、どのような要因によって左右されるかを解明した例は世界的にも稀です。同様の研究の蓄積によって、農薬の自然界の生物に対するリスクがより高精度に予測可能になることが期待されます。
【論文情報】
雑 誌 名:"Ecological Applications"応用生態学におけるトップジャーナル。インパクト
ファクター4.378、Journal Citation Reports ranking:23/164(Ecology)、
49/250(Environmental Sciences)(すべて2018年)
論 文 名:Effects of a herbicide on paddy predatory insects depend on their
microhabitat use and an insecticide application(DOI:10.1002/eap.1945)
(除草剤が水田の捕食性昆虫に与える影響は、昆虫のハビタット選好性と殺虫剤施用に
よって変化する)
著 者:橋本洸哉(近畿大学農学部博士研究員)、江口優志(近畿大学大学院農学研究科M2)、
大石寛貴(佐賀大学農学部研究支援推進員)、尋木優平(佐賀大学大学院農学研究科
M1)、徳田誠(佐賀大学農学部准教授)、Francisco Sánchez-Bayo(Honorary
Associate, School of Life&Environmental Sciences, The University of Sydney)、
五箇公一(国立環境研究所室長)、早坂大亮(近畿大学農学部准教授)
共同筆頭著者 :橋本洸哉、江口優志、早坂大亮
責 任 著 者:橋本洸哉
論文へのリンク:https://esajournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/eap.1945
【研究の背景】
農薬は農業生産を維持するために欠かせない資材ですが、同時にその毒性によって農業生態系の生物に悪影響を及ぼします。また、農薬の毒性に耐性をもつ生物と毒性への感受性の高い生物が相互作用で結ばれていた場合、農薬は相互作用を介して耐性をもつ生物へも間接的に影響を与えることがあります。野外の生態系において、生物はほとんど普遍的に他の生物と相互作用で結ばれています。したがって、野外における農薬の生物への影響の大部分が、生物間相互作用を介した間接的な影響で構成されている可能性があります。このような農薬の間接影響は、直接毒性の影響に比べて研究が進んでおらず、間接影響の大きさがどのような要因によって左右されるのかについて明らかにした研究はこれまでほとんどありませんでした。
【研究の詳細】
(1)仮説
水田の捕食性昆虫は、イトトンボ類幼虫は水草に掴まる、トンボ類幼虫は水底に潜む、アメンボ類は水面に浮かぶなど、ハビタット選好性※2 が種によって異なっています。そこで研究チームは、「水草掴まり型の捕食性昆虫は、水底や水面に生息する捕食性昆虫よりも除草剤による水草の減少の影響を受けやすい」という仮説を立てました。
(2)方法
仮説を検証するにあたり、我々は水田を模した模擬生態系(280cm×120cm×40cm)を用いた実験を行いました。除草剤のみ散布区、殺虫剤のみ散布区、殺虫剤+除草剤散布区、無処理区の4処理区を設け、それぞれ2反復、計8機の模擬生態系を用意しました。殺虫剤の散布は、除草剤による間接影響が殺虫剤の存在下でも観察されるか検証するために行いました。実際の農事歴に従い、5月下旬に田植えを行い、同時に農薬を商品の推奨する方法と濃度で散布しました。農薬散布後、以下の生物群について密度を原則として2週に1回記録しました:水草・捕食性昆虫・植食性昆虫・有機物食性昆虫・動物プランクトン・植物プランクトン※3。密度を記録した生物については、可能な限り種同定を行いました。実験は10月下旬まで5ヶ月継続して行いました。
(3)結果
■各生物群の生息密度の変化
実験の結果、各生物群の散布区における生息密度については、殺虫剤は捕食性昆虫・植食性昆虫・有機物食性昆虫を減少させました。一方、除草剤は散布区における水草の占める面積を半減させましたが、昆虫の密度には影響せず、動物プランクトンや植物プランクトンも実験期間の一部でしか減少させませんでした。
■捕食性昆虫の種ごとの密度
捕食性昆虫の合計密度は除草剤の影響を受けませんでしたが、種ごとに解析すると、水草に掴まって生活するホソミオツネントンボ幼虫が顕著に減少し、水底で生活するシオカラトンボ幼虫が顕著に増加していました。ただし、全体的には除草剤の影響は比較的穏やかなものでした。一方、殺虫剤は水面で生活するアメンボ類を除くほぼ全ての捕食性昆虫の密度を激減させました。除草剤の間接的な影響は、殺虫剤の存在下では確認できませんでした。
■ハビタット選好性による除草剤の影響の比較
除草剤が各種捕食性昆虫に与える影響の大きさをlog response ratio※4 によって求め、彼らのハビタット選好性に基づき比較しました。その結果、水草を選好する種に対する除草剤の悪影響を示すlog response ratioの値のみが0より低いことがわかりました。このことから、「水草掴まり型の捕食性昆虫は、水底や水面に生息する捕食性昆虫よりも除草剤による水草の減少の影響を受けやすい」という仮説が確かめられました。
【今後の展望】
本研究は、生物間相互作用を介した農薬の影響について理解するために非常に重要な成果です。農薬の間接影響は直接毒性の影響に比べて種間差が大きいことが分かりましたが、このような種間差を説明する要因を特定することで、どのような種が農薬の間接影響に脆弱かなどの提言が可能になると考えられます。農薬の影響に脆弱な種が分かれば農薬を散布する際に農地周囲の生物群集や環境への負荷がどの程度か見積もることに役立ちます。
農薬は農業生産の維持に不可欠であり、生物多様性に配慮しながら農業を続けるためには、実現場における生物に対して予測される農薬の影響を正確に見積もることも必要です。農薬の直接的な毒性の検証に加えて、生物間相互作用を介した農薬の間接的な影響を含めて理解することが重要になります。今後は、様々な薬剤による試験や水田での検証など、新たな科学的知見を集積することで、自然界の生物に対する農薬のリスクがより高精度に予測可能になることが期待されます。研究を通して得られた客観的な知見を基に、農業に携わる様々なステークホルダーが議論を重ね、より良い農業活動に繋げるための役に立ちたいと思っています。
なお、本研究は、環境研究総合推進費(4-1701、リーダー:五箇公一)の支援を受けて行われました。
【用語解説】
※1生物間相互作用 :捕食-被食関係、資源競争、共生など、ある生物が別の生物の生存や
繁殖に対して影響を与えるような関係のこと。
※2ハビタット選好性 :生物が、どのようなハビタット(生物の生活圏)を好むかという形質。
※3昆虫の食性について:昆虫がどの餌を食べるかは昆虫の種ごとに異なる。
■捕食性昆虫:他の動物を餌とする昆虫
■植食性昆虫:植物(植物プランクトンを含む)を餌とする昆虫
■有機物食性昆虫:堆積・浮遊する有機物を餌とする昆虫
※4log response ratio:処理区と無処理区における値(ここでは密度の平均値)の比の自然対数を
取ったもの。処理の効果量としてしばしば用いられる。
【研究者プロフィール】
■近畿大学・農学部 博士研究員 橋本洸哉(はしもとこうや)
学 位:博士(理学)(京都大学)
専 門 分 野:陸域相互作用、群集生態学、個体群生態学
主な研究テーマ:生物間相互作用を考慮した農薬の影響評価、寄主植物を介した植食性昆虫間の
相互作用など、生物間相互作用を橋渡しに分野を横断した研究を展開中
■近畿大学 農学研究科 環境管理学専攻 博士前期課程2年 江口優志(えぐちゆうじ)
専 門 分 野:生態毒性学、群集生態学、生物を用いた水質改善
主な研究テーマ:農薬施用が水田生態系に与える影響、人間社会と生態系保全の共存方法の模索
■近畿大学 農学部 環境管理学科 准教授 早坂大亮(はやさかだいすけ)
学 位:博士(学術)(横浜国立大学)
専 門 分 野:生態毒性学、群集生態学、植生学、環境リスク学
職 歴:日本工営株式会社(建設コンサルタント・技師)、国立環境研究所(特別研究員)、
九州産業大学工学部(非常勤講師)
主な研究テーマ:生物のストレス応答メカニズムの解明、外来生物の侵略性評価と防除、大攪乱の
生態学的意義の解明など、基礎から 応用まで、生物群にこだわらず幅広く
研究を展開
【関連リンク】
農学部 環境管理学科 准教授 早坂 大亮 (ハヤサカ ダイスケ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/878-hayasaka-daisuke.html