和歌山県紀美野町長を表敬訪問 山里の民俗に深く関わるカヤの樹に関する研究成果を報告

2025.03.14

  • 生物

紀美野町長に研究成果を説明

【紀美野町とのカヤに関する共同研究】

近畿大学(大阪府東大阪市)は、和歌山県紀美野町と「紀美野町おけるカヤおよびヒダリマキガヤの分布とその民俗学的意義」というテーマで共同研究に取り組んでいます(2024年度から2027年度)。紀美野町には、樹齢数百年から千年に近いカヤの樹が100本以上存在します。カヤの樹そのものは、縄文遺跡から出土することからもわかるように、日本人が古くから利用してきた樹です。しかし、カヤの樹の一変種であるヒダリマキガヤは、国内でも限られた地域に集中して存在することが知られています。紀美野町内の旧高野山領もそのような地域の一つです。この研究では、紀美野町に存在するカヤおよびヒダリマキガヤの遺伝子の差を解析することによって、この地域でカヤの樹がどのように栽培され、利用されてきたか。その歴史を紐解きながら、この地において数百年もの間カヤの樹を大切に守り育ててきた人びとの意識に迫ろうと考えています。総合大学である近畿大学ならこその文理融合型研究を展開しています。

カヤの葉と幼果

【りら創造芸術高等学校とカヤの樹】

りら創造芸術学園のりら創造芸術高等学校、和歌山県立向陽高等学校と近畿大学生物理工学部は、紀美野町に"原木"があるとされていた"ブドウハゼ"について、その"原木"ではないかとされるハゼの古木と、現存する"ブドウハゼ"の接ぎ木の遺伝子型が同じであることを明らかにしました。この研究の成果として、その"原木"は和歌山県の天然記念物に再指定されました。りら創造芸術高等学校では、この"ブドウハゼ"を今後も作りつづけるために、"ブドウハゼ"から得られる櫨蝋を利用した高付加価値商品の開発に取り組まれ、「マルチバーム キノミノリ」を開発されました。この商品の主成分は櫨蝋ですが、香りをつけるために選ばれたのが同じ紀美野町に古くから存在するカヤの実の香油でした。りら創造芸術学園の鞍雄介氏は、文芸学部の藤井教授とともに、これまでに紀美野町をフィールドとする民俗学的研究を続けてこられました。そこで、このカヤの樹について、民俗学的研究だけではなく、遺伝学的研究にも取り組みたいと、生物理工学部生物工学科で研修生として研究に取り組まれました。本研究は、近畿大学とりら創造芸術学園との共同研究「高野領における榧の分布とその文化的背景」でもあります。

【今年度の研究成果の報告】

方法:
紀美野町内の2つの地区、西側の中田地区および東側の毛原を中心とする地区からカヤおよびヒダリマキガヤ、14樹の葉または落下した果実からDNAを抽出しました。特に、接ぎ木の形跡がある2樹については、株元に生えたひこばえと幹から別々にDNAを抽出しました。これらのDNAを用いて、RAPD-PCRと呼ばれる手法で遺伝子の違いを解析しました。さらに、その違いの大きさでそれぞれの樹の間の近縁度(遺伝的距離)を算出しました。さらに、その遺伝的距離をもとに近縁な樹をグループ化して図示する樹形図を作成しました。

明らかになったこと:
1.接ぎ木の可能性があった2樹のひこばえと幹の遺伝子型が明瞭に異なったことから、これらが接ぎ木であることが示されました。これらの樹の樹齢は400年以上であって、現存する接ぎ木された樹としては最古と考えられます。このように、この地域では、400年以上前から接ぎ木によってヒダリマキガヤが積極的に増やされていたことが示されました。それではなぜ、接ぎ木されたのでしょうか。カヤの樹は雄樹と雌樹が分かれていて、油のとれる実のなる雌樹が強く求められたと考えられます。種を蒔いて育てると、基本的には雄樹と雌樹が半分ずつ生えてきますが、その樹が、雄か雌かがわかる(実がなる)までに15年もかかります。雄か雌かがわからない苗に雌樹の枝を接ぎ木すると確実に実のなる雌樹になります。しかも、2年くらいで実をつけることができます。雌樹を増殖するのに接ぎ木は極めて優れた技術です。
 また、カヤの実は食用にもなりますが、ヒダリマキガヤの実は、普通のカヤの実よりも多くの油がとれる一方で美味しくはありません。ヒダリマキガヤの普及が図られた時期には、食用としてではなく、油をとるための樹として利用されていたことを示しています。

2.ヒダリマキガヤの種子はこの地域の外から同時期に持ち込まれたことがわかりました。紀美野町内の西側地区と東側地区にヒダリマキガヤが出現したのが、今から約1000年前の同時期でした。この種子の出所はわかりませんが、積極的かつ急速にヒダリマキガヤの普及が図られたと考えられます。カヤの実の油は、凝固点が低く、冬の厳寒期でも固くなることがありません。高野山では、灯明油としてカヤの実の油が使われていました。また、高野山領ではカヤの実を年貢として納めていたことも明らかになっています。多くの油を得るために高野山が積極的に普及させたと考えるのが自然でしょう。実際、高野山の周辺では、弘法大師が「このカヤを育てて豊かになりなさい」と、カヤの実を人びとに与えたという伝承が残っています。

3.ヒダリマキガヤが普及する前の時期に、紀美野町内の西側地区と東側地区でカヤの樹の遺伝子が異なっていたことも明らかになりました。このことは、同じ町内のふたつの地区の間で人びとの交流が少なかったことを示しています。その時期を推定するとおよそ古墳時代と判断されました。このふたつの地区の生活様式や信仰から、西川地区は農村で、東側地区は山村と考えられます。東側地区では、縄文時代から続く狩猟採取生活を送る山の人びとが暮らし、西側地区では弥生時代に渡来した農耕を中心とする農村の生活を送る人びとが暮らしていたのではないかと考えられます。この地域は、高野山と紀州藩の間で領地争いがあった地域でもありますが、それよりもずっと古くに文化圏・生活圏が分かれていたことが、カヤの樹の遺伝子解析から明らかになりました。

カヤの樹の民俗学的意義:
カヤの樹は縄文時代からひとの傍らにあった植物で、ひとが管理しなければ枯れてしまいますが、管理すれば千年も生きながらえます。カヤの樹の遺伝子を調べることで、これに関わった人びとの生活や、ひとの集団間の交流を明らかにすることができます。今年度の研究の結果が示すように、通常では知ることができなかった、何百年も前のひとの営みを理解することが可能になります。

「今後の展開」:
今後は、紀美野町のほかの地区や、高野山をかこむほかの地区のカヤの樹ついても同様に調査することで、紀美野町だけでなく、高野山領全体で、カヤの樹とひとのつながり、カヤの樹にまつわる生活文化がどのように変遷していったかを明らかにしたいと考えています。

<共同研究参加メンバー>
共同研究者:
りら創造芸術学園からの研修生   鞍 雄介
生物理工学部生物工学科 3回生 足立優貴
生物理工学部生物工学科 准教授 堀端 章
文芸学部文化・歴史学科・
      民俗学研究所 教授 藤井弘章

【関連リンク】
生物理工学部 生物工学科 准教授 堀端 章(ホリバタ アキラ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/505-horibata-akira.html
文芸学部 文化・歴史学科 教授 藤井弘章(フジイ ヒロアキ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/1172-fujii-hiroaki.html

生物理工学部
https://www.kindai.ac.jp/bost/
文芸学部
https://www.kindai.ac.jp/lit-art-cul/