HISTORY

実学主義を貫き、
成果を社会に生かす総合大学へ。

念願の近畿大学創設を果たした世耕弘一はその門出にあたり、これまでに出会った人々の姿を思い出していた。和歌山の海岸で漁の不振にあえぐ漁師の後ろ姿、ミカン畑で米を作るよう軍部に命令され途方に暮れる農民の表情。「決して、忘れてはいけない」と弘一は、戦後の国民を救える学問の追求こそ大学の使命だと考えたのである。

過去の苦い経験に学んだ弘一は実学主義を「独創的な研究とその成果を社会に生かす」ことに要約し、研究分野を確立させていく。和歌山の白浜町に水産養殖研究を目的にした水産研究所を設立しブリやマダイなどの養殖に取り組んだり、湯浅町の広大な荒地を造成して湯浅農場を開き、豊かに実る温州ミカンを収穫できるようにした。

「恵まれた条件下の成功はあたりまえだ」と、あえて悪条件に身を置き、科学技術による改良を推進していったのである。

多くの人々が大学を卒業する時代を予見。

昭和35年には日本の大学で初めて原子炉を設置した。この原子炉は翌年、日本初の民間原子炉として臨界に達したことでも世界的に評価され、経験豊かな高度専門技術者を輩出している。

「日本一の大学」と弘一が愛した近畿大学は、創立から98年を数え、情報学部、医学部、農学部、薬学部、国際学部を含む15学部、大規模な2つの総合病院、12大学院研究科等、2短期大学および18付置研究所、附属学校などを擁する全国有数の総合大学に成長を遂げた。

2017年4月、「アカデミックシアター」がオープン。スマホで予約できる24時間利用可能な自習室をはじめ、マンガ2万2千冊を含む全7万冊以上の蔵書を誇る新しい図書館が完成した。その他にも日本の大学で初出店となる「ALL DAY COFFEE」や「CNN café」も併設。

アカデミックシアターは、文系・理系の垣根を越えて社会問題を解決に導く施設として、近畿大学の実学教育の発信の場となっている。


「私の理想は、すべての人々が大学を卒業することです」と語った弘一の理想は、まさに現代社会において成就しつつある。近畿大学は創立者の訓示を遵守し、社会に貢献する優れた人材を育成し続けている。

世耕 弘一
世耕 弘一(明治26年生~昭和40年没 和歌山県出身)
大正12年、日本大学を卒業後、朝日新聞社に就職。
ドイツ留学を経て、昭和6年に日本大学教授に就任。
翌年、39歳で衆議院議員に初当選(以後、8回当選)。
昭和24年、近畿大学を創設し、初代総長となる。
昭和34年、第二次岸内閣の国務大臣に就任。
昭和38年に藍綬褒章、40年に勲一等瑞宝章を拝受。
没後、従三位に叙せられる。