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不倒館(創設者 世耕弘一記念室)

「不倒館‐創設者世耕弘一記念室」は、本学創設者であり、初代総長の 世耕弘一先生
が掲げた建学の精神、教育への情熱を形あるものとして、後世に残し伝えていくこと
を目的に平成21年9月12日、開設されました。

建学史料室広報誌 A Way of Life -Seko Koichi-最新号 は、こちらからご覧いただけます。

 

Twitter始めました!

「不倒館-創設者 世耕弘一記念室」は平成28年3月、Twitterを始めました。
近畿大学の創設者である世耕弘一先生の残した言葉や、 不倒館の各種お知らせを配信します。
皆様のフォローをお待ちしています。

名 前 不倒館(近大)  
アカウント @futoukan

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  • 開館日時
  • 創設者 世耕弘一略歴
  • 展示品
  • アクセス

4~6月の開館日時

4月
 3日(月)・4日(火)・6日(木)・11日(火)・12日(水)
 19日(水)・20日(木)・27日(木)・28日(金)
 開館時間 11:00~15:00

5月
 9日(火)・10日(水)・17日(水)・18日(木)
 25日(木)・26日(金)・29日(月)・30日(火)
 開館時間 11:00~15:00

6月
 5日(月)・6日(火)・13日(火)・14日(水)
 21日(水)・22日(木)・29日(木)・30日(金)
 開館時間 11:00~15:00

2017年4月
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2017年5月
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2017年6月
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※ 開館時間 午前11時~午後3時
:開館日 :日祝日

備考

・開館時間内であれば、事前連絡は不要です。
 自由にご見学いただけますので、お誘い合わせのうえ、ご来館ください。
・開館日以外のご見学については、下記の建学史料室にご相談ください。

不倒館に関するお問い合わせ

近畿大学 建学史料室(東大阪キャンパス 18号館1階)
 〒577-8502 東大阪市小若江 3-4-1
 TEL(06)4307-3091(ダイヤルイン)

明治26年 和歌山県東牟婁郡敷屋村西敷屋(現新宮市熊野川町西敷屋)にて誕生
明治41年(15歳) 高等小学校を卒業、新宮市内の材木店へ丁稚奉公
大正3年 (21歳) 東京深川の材木商社に就職、その後満州(現中国東北部)へ渡る 
大正6年 (24歳) 満州から帰国、正則英語学校へ通う
大正9年 (27歳) 日本大学に入学
大正12年(30歳) 日本大学を卒業、朝日新聞社に就職
9月、ドイツ留学へ
昭和2年 (34歳) ドイツから帰国、日本大学講師となる
昭和6年 (38歳) 日本大学教授となる
昭和7年 (39歳) 衆議院議員に初当選(以後、8回当選)
昭和16年(48歳) 東條軍事政権に抵抗、尾崎行雄氏、鳩山一郎氏らと同交会を結成、
世話人となる
昭和18年(50歳) 日本大学理事に就任
昭和19年(51歳) 大阪専門学校の校長に着任
昭和21年(53歳) 内務政務次官に就任、隠退蔵物資の摘発に乗り出す
昭和24年(56歳) 近畿大学を創設、総長に就任
昭和30年(62歳) 衆議院法務委員長となる
昭和34年(66歳) 第2次岸内閣の国務大臣(経済企画庁長官)に就任
昭和38年(70歳) 藍綬褒章を授与される
昭和40年(72歳) 勲一等瑞宝章を拝受する
同年4月27日 肝臓疾患のため急逝、従三位に叙せられる

  • 世耕弘一 胸像
  • 世耕弘一・世耕政隆 肖像画
  • 世耕弘一が生き、勉んだ熊野古道のジオラマ(映像ナレーション付き)
  • 世耕弘一伝 漫画「山は動かず」の幼年期映像・ ナレーション
  • 世耕弘一居宅のジオラマ(清貧の人の象徴として)
  • 世耕弘一・世耕政隆の遺墨集
  • 世耕弘一関係の横額・掛け軸・色紙
    【横額】 温故知新
    龍吟雲外松
    (その他は同室に保存)
    【掛け軸】 梅花経霜雪開(学園花の由来にちなんだ揮毫)
    【色紙】 40年の卒業生全員に配った色紙
    【特別展示】 尾崎咢堂先生の「海不厭深」
    鳩山一郎先生の「友愛」
    石橋湛山先生への書簡
    世耕政隆の野尽くし文字の風呂敷
  • 苦学生当時の学生俥夫‐人力車
  • 勲一等瑞宝章を佩用しているモーニング
  • 世耕弘一 愛用の羽織
  • 近畿大学創設以来の各種の映画・ビデオ・DVD・録音等の視聴コーナー
  • 全学共通教育PT制作の自校学習DVD「近畿大学の発展史編」の視聴コーナー
  • 世耕弘一の関連史料・図書・書簡・式辞・議会議事録の一部

映像視聴コーナー

【自校学習教材】 世耕弘一先生の魂にふれる
伸びゆく近畿大学(昭和27年版)
伸びゆく近畿大学(昭和32年版)
~近畿大学の過去・現在・未来~
【映画】 若者の讃歌(昭和46年)
【教育映画】 『津浪』世耕弘一原作

「学生俥夫」と人力車

展示の人力車は、近畿大学台湾校友の皆様のご寄付によって製作されました。

「学生俥夫」は、世耕弘一をモデルに書かれた実話小説です。掲載された雑誌『キング』(講談社)は、日本出版史上はじめて発行部数100万部を達成した国民的雑誌でした。この作品には、世耕弘一の人柄をしのばせるエピソードがちりばめられています。世耕弘一は人力車を引く仕事をしながら、寸暇を惜しんで勉学に励み、現在の私たちからは想像もできないほどの「苦学」をし、ついに大学進学の夢を実現しました。世耕弘一のその強い思いが後に近畿大学として結実し、その精神は現在も受け継がれています。


著者は、後の直木賞作家 穂積 驚
「学生俥夫」(『キング』第15巻第4号昭和14年(1939年)4月所収)

附属高等学校に掲額

「洗心」は常に心の中のわだかまりを洗い去って、心を新たにする、それにより心の汚れを洗うことです。
世耕弘一がこの言葉を好んで用いたのは、学生、生徒達が将来どのような偉い人になっても、優れた知識を誇るだけでなく、心温かく、謙虚な姿勢を歩み、ひたすら人間を磨いてほしいという願いを込めた二文字であるためと思われます。この言葉は近畿大学の建学の精神の一つである「人格の陶冶」のよりどころとなっています。

世耕弘一が生き、勉んだ熊野地方をジオラマで再現

世耕弘一が出生から上京するまでの少年時代を過ごした、和歌山県熊野地方をジオラマで再現しました。生家や小学校・奉公に出た貯木場など、世耕弘一ゆかりの地や新宮短大分校はじめ、地方の教育や産業振興のために尽くした数々の施設、世界遺産に登録された熊野古道、熊野本宮大社・熊野速玉大社・那智大社などの名所も表現しています。
ジオラマ正面のモニターでは、上記のジオラマを各所ごとに写真とナレーションで説明しています。また長編漫画「山は動かず~世耕弘一伝」で幼年時代の物語を映像で紹介しています。

池袋一丁目一番地の自宅

世耕弘一は、昭和5年から東京池袋に住んでいましたが、この模型は戦災で建て直した現在の自宅です。「東京池袋一ノ一」で郵便物が届く、ご自慢のいわゆるラッキーアドレスでありました。
世耕政隆は「回想 世耕弘一」の中で、親父は「遺言も思い残すことも一切無い、と云い切って残していったのは、百余坪の借地と古びた小さな家一軒だけである」と記しています。
まさに、この家は「清貧の人 世耕弘一」の象徴であります。 

温故知新

世耕弘一はこの「温故知新」という言葉をよく使いましたが、常に、「旧来の因習を破って新しい形を作りなさい。ただ、故(ふる)きを尋ねるだけでなく、故きを尋ねて新しいものを知り、更に創り出すことでなければならない。」と付け加えました。つまり、「温故知新」から「温故創新」への発展です。
なお、「温故知新」は他にも揮毫されており、近畿大学中央図書館4階閲覧室には、380cm×91cmの大きな書を掲額しています。これは、昭和27年、旧本館2階にあった、当時の図書館閲覧室に掲額されたもので、学内で最も古くから多くの学生、教職員に親しまれてきた書といえます。
また、現在確認できている世耕弘一の遺墨の中でも最大で、その迫力に、この言葉に込められた思いの強さが伝わってきます。

龍吟雲外松

和歌山県串本町出雲区から寄贈された世耕弘一直筆の書です。 縦96cm、横2.2mの額に入った大作で、不倒館所蔵の中でも最大級のものです。「龍吟雲外松」は、「龍が鳴いているのかと思ったら、遠くの松の鳴る音だった」と読めるとともに、「既成の概念を捨てて、修行に徹することで悟りを開き、超俗の境地に至る」という意味も考えられます。

交通アクセスは、東大阪キャンパスへの行き方を確認してください。

キャンパスマップ詳細
1F 不倒館―創設者世耕弘一記念室(平成28年9月21日開館)

関連リンク

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