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今に語り継ぐ「炎の人生」
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青年の高き志と人力車
青年の高き志と人力車

学問への憧れ、自身の運命を開く力。
夢を追い求める孤高の苦学生。

 大正6年、東京帝国大学と第一高等学校の間、根津に抜ける通りの一角に人力車が停められていた。かたわらの公園、街灯下のベンチで若者が熱心に英語の原書を読みふけっている…。
 今となっては耳にすることも少なくなった「苦学生」という言葉。人力車を引く仕事を生きる糧に、学問への不断の志を抱き続けた苦学生。彼こそが後に近畿大学を創設し、その一方で衆議院議員、国務大臣として日本の政治に尽力し続けた世耕弘一の若き日の姿である。
 この時代、高等教育機関への進学率はわずか1%。進学者の大半が一握りの富裕層の子弟であることは言うまでもない。和歌山県新宮市近く、熊野古道沿の寒村で生まれた弘一は、経済的な理由で中学進学の夢を断たれ、市内の材木店に奉公することになる。15歳の秋、奉公先へと旅路を急ぐ弘一の風呂敷包みには「衣錦還郷」と記された色紙が入っていたという。

精一杯に学ぶ事、生き延びる事を課せられた日々の果てに。

 中学進学を断念した10年後、25歳になった弘一は、東京・神田の英語学校に入学。実に10年という永い年月をかけて、ようやく本格的に学べる環境を自分自身の力で手にすることができたのである。猛勉強のかたわら、時間を惜しむように人力車を引き続けた弘一は、努力の甲斐あって、難関中の難関と言われた中学卒業の国家検定試験に合格する。その後、日本大学へと進学した弘一は、卒業までの数年間、人力車の仕事を続けている。それはまさに弘一の学問と生活を支える、大切な仕事であった。
 かつて貧しさ故に、進学の夢を断たれた少年の想いは、数十年の歳月を経て近畿大学という理想の学舎に結実する。
 「学びたい者に学ばせたい」という世耕弘一の信念は、どんな時代も変わらない教育の真理と言える。「我ガ生、難行苦行ナレドモ、我ガ志、近畿大学トナレリ」。この言葉は、近畿大学の誇りであり、永久に語り継がれるべき魂の結晶である。

来るべき次世代を担う、志高き人の育成へ。
創設者の意志を今に受け継ぐ学舎、それが近畿大学です。

世耕 弘一

世耕 弘一

(明治26年生~昭和40年没 和歌山県出身)

大正12年、日本大学を卒業後、朝日新聞社に就職。
ドイツ留学を経て、昭和6年に日本大学教授に就任。
翌年、39歳で衆議院議員に初当選(以後、8回当選)。
昭和24年、近畿大学を創設し、初代総長となる。
昭和34年、第二次岸内閣の国務大臣に就任。
昭和38年に藍綬褒章、40年に勲一等瑞宝章を拝受。
没後、従三位に叙せられる。

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